トップ > 項目別目次 ・ 号別目次 > まえがき(第1号〜第12号) - まえがき(第13号〜24号)
第13号まえがき (2001年4月) 相馬伸郎(本誌編集長)
本誌も今号で通巻第13号を迎えることができました。もはや、この企てが人間的業ではなく、まさに信仰的冒険に基く、神の御業、恵みの勝利であることは明らかであると思います。心から御名を崇めると共に、読者の皆様をはじめ、この戦いに協力して下さったすべての方々に心から御礼と感謝を申し上げます。
I. 「日曜学校」教案誌から「教会学校」教案誌へ
教会学校を扱う、日本キリスト改革派教会礼拝指針第4章第28条には、このような定義がなされています。「教会学校とは、教会の教育事業が主として行なわれる組織を言う。それには、日曜学校・週日・休暇中の聖書学校・その他がある。その目的は、キリスト者の成長と完成であって・・・。」これによれば、日曜学校とは、教会学校の働きの一部であることは明らかです。およそ、私共の教会・伝道所でなされる各会(男性会・婦人会・青年会など)の働きは「教会学校」の枠の中に位置づけられると思います。
さて、これまで弊誌は、『日曜学校教案誌』と銘打って発行致してまいりました。しかし実は、創刊号にも記しましたが、その目標は高く、全信徒の「教育」と「伝道訓練」を目指し、教会教育に資する定期刊行物として発行したのでした。今号より、いよいよ当初の目標に基いてその名称を『教会学校教案誌』と致しました。もとよりこれまで通り、幼稚科から中学科までを対象にした日曜学校教案が中核となりますが、いよいよ志を高くして、教会教育、教会学校全体への奉仕を目指し、少しでも「教会学校」教案誌の名にふさわしいものとすべく努めてまいりたいと思います。
II. 中会出版から大会出版への橋渡し
第57回定期大会にて大会教育委員会から提案された「『日曜学校教案誌』を大会から発行する」提案は継続審議となり、第58回定期大会にて、この提案は取り下げられました。それは、再編された新しい大会教育委員会から改めて提案する為の措置でした。これを踏まえて本誌はなお、中部中会教育委員会の監督の下、教案誌編集奉仕者の手でなされます。しかしそれに加えて、大会教育委員会の指導をも仰ぎながら大会教案誌として出版する備えをしてまいることとなろうかと思います。
III. 「子どもカテキズム」に基く 二年間のカリキュラムを
2000年4月に創刊した日曜学校教案誌は、「子どもカテキズム」に基づく二年間のカリキュラムでした。そして今号からの二年間、改めて「子どもカテキズム」に基くカリキュラムで行います。当初のものを参考にしつつもさらに改良、改訂したいと願っています。そもそも本誌は、「教理の体得」を第一に目指して編まれました。契約の子はもちろん、地域の子らにも福音の全体を、そして生けるキリストを伝えることを目指し、そのために教理教育こそ最強な手段と信じ、さらに集中したいと思っています。
私ども「有志」で立ち上げた創刊当初、それは厳しい船出でした。しかし、今号ではまさに大会的な奉仕の陣容となりました。「一人でも多くの子らの為、たった一人の子のために」皆様と共になお力を合わせ、時間、財、賜物を捧げて教育的伝道の戦いに励んで参りたく願っております。
(名古屋岩の上伝道所宣教教師、中部中会教育委員会委員、大会教育委員会委員)
第14号 まえがき (2004年7月) 小野静雄 (多治見教会牧師)
(1)『日曜学校教案誌』(『教会学校教案誌』と改称)が、中部中会教育委員会の監督の下、委員を含む有志たちの志により始まり、委員会活動の一環として継続されてきたことに、深い感謝と神さまの導きを感じています。教案誌が、やがては大会の教育委員会に引き継がれるべきことは、明らかだと思いますが、それにいたる基礎を固める仕事を、とくに中部中会が担うよう導かれていることは、私たちの中会にとってたいへん光栄なことではないでしょか。
私じしん、当初こころよい支援を送らなかった者として、反省をこめて言います。ひとつの良いことが始まるときに、必ずしも多くの賛同を得なくても、神様が道を開いてくださることを、この教案誌の履歴が物語っています。だれかが始めたことを、否定するのは非常にたやすいことです。会議などでは、だれかの発案を否定すれば、それだけで自分が人より賢くなったような錯覚をいだくものです。そのような錯覚と思い上がりが、私じしんの長い牧師としての歩みを、ときに停滞させ、ときに歪めてきたことを深い反省をもって思い返します。多くの方がたが、この教案誌のめざすところを、虚心に評価してくださり、支援とともに、さまざまな建設的な意見を寄せてくださるよう、(遅れてきた支持者の一人として)お願いしたいのです。
(2)森有正さんの晩年の説教・講演記録が数冊、「オンデマンド版」として復刊されました。買いそびれていたものを購入して読んでいます。ひとりのキリスト者として、信仰の本質をわかりやすく、しかし実に深く語って、興味は尽きません。森さんが、キリスト教信仰の本質的な態度として、繰り返し語られたこと。それは、人が自分の問題を神に解決してもらうために神に求める救いの道ではない、ということです。「神様が、人間について問題にされることを解決するために神様御自身がお作りになった救いの道なのです」(『古いものと新しいもの』69ページ)。
神ご自身が問い掛ける神として私たちの前に立たれる。そこに聖書の信仰のほんとうの深さと確かさがあると、森さんは言っているようです。そのこととの関連で、日曜学校での問答教育にも触れておられます。カテキズム教育のひとつの眼目は、まず子どもに向かって「問い」が投げかけられることだと言うのです。子どもが、自分の中にある問いを考えるのではなく、何が本当の問題なのかを、子どもたちにぶつけることから、教育がはじまる。それが教会の教育であり信仰の教育だと考えているのです。
そこから、さらに自分中心を捨てようという呼びかけも起こります。アブラハムの信仰は、自分の中に中心を作らない決断としてあった。それがアブラハムの人生に、ほんとうの冒険をもたらしたのです。「自分でないものに自分の生活の軸を結びつけるということ、それが信仰ということであります」(同173ページ)。
人の生きる意味が、自分の外からの促しによって生まれてくること。それがまさに信仰の学びであり教育だと思います。自分主義という辛い牢獄から、解き放たれるため、そしてイエス・キリストという「負いやすい“くびき”」に人々を導くために、教案誌の問いかけが、まさに神からの問いとなるよう、祈りつつ励みたいのです。
第15号 まえがき (2004年10月) 岩崎 謙 (神港教会牧師)
神港教会では、7月24日(土)と25日(日)に聖書学校サマースクールを行いました。土曜日は教会に宿泊し、日曜日の朝の礼拝を「親子礼拝」として守りました。今回のテーマは「イエス様が来てくださったわけ」で、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネによる福音書10章10〜11節)が主題聖句でした。
以下、当日の説教を紹介しながら、「命を豊かに受ける」ということを考えてみたいと思います。「命が豊かになる」とは、健康で、毎日美味しいものをたくさん食べることではありません。どんなにお金があっても、或いは、どんなに勉強をしても、或いは、どんなに偉い人になっても、それだけでは、命が豊かになりません。今日は、羊と羊飼いは、お互いによく知り合っているということを学びました。命が豊かになるとは、羊と羊飼いとがお互いに知り合うその交わりの豊かさにあります。自分の羊飼いは、本当に自分のことをいつも覚えて大切に扱ってくださる。自分もこの羊飼いに心からお従いしたい。このように羊と羊飼いとの心が一つに通じ合うところに、命の豊かさがあります。命の豊かさは、寿命の長さでも、物が沢山あるお金持ちの豊かさでもありません。そうではなく、イエス様を通して神様を知り、神様に知られていく、その交わりの豊かさにあります。」
ヨハネによる福音書は、羊飼いが羊を知り、羊は羊飼いの声を知る、双方の豊かな交わりを描いています。そして、これは、父なる神様がイエス様を知られ、イエス様が父なる神様を知っておられるその両者の交わり(14節)と同じものである、と説明されています。教会学校は、教師と生徒との交わりにおいて、この命の豊かさを育むことを目標にしたく思わされています。また、これは、イエス様と子どもたち一人一人の間に宿る命の豊かさです。
そして、ヨハネの福音書は、良い羊飼いと羊の関係を、「泥棒や強盗」や「自分の羊を飼っていない雇われ人」と羊の関係との対比において描いています。泥棒は、羊を盗み、屠り、売り飛ばし、羊によって自分が豊かになろうとします。泥棒が来るのは命を奪い取るためです。また、雇い人は、通常は良い仕事をしていても、狼がくると自分が怖くなって、羊を残して自分が逃げます。するとその後に狼が羊の群を引き裂くことになります。これらとの対比において、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と語られています。羊飼いが、自分の命よりもより大切なものとして羊の命に配慮するとき、つまり、羊のために自分の命を捨てるとき、「羊は命を豊かに受ける」ことになります。イエス様が来てくださったわけは、一方において、盗人や雇い人によって命の危険に晒されている羊の命を守り、他方において、ご自分の命を与えることにより羊の命を豊かにするためでした。
「命が豊かになる」とは、私のために命を捨て与えてくださるイエス様によることを、改めて覚えました。教師と生徒がともどもに、イエス様によって、命を豊かにしていただくこと、ここに、聖書学校の使命があります。また、これは教会の使命でもあります。親子礼拝でこのお話しをしたとき、子どもたちは敏感に「泥棒」や「雇われ人」の恐さに反応しました。この世の恐さを子どもなりに知っています。だからこそ、イエス様という良い羊飼いに養われる必要があり、ここにこそ、羊の幸せがあります。
第16号 まえがき (2005年1月) 三川栄二 (稲毛海岸教会牧師)
高校一年の時に教会学校教師になってから、もう30年近くが経ちました。その間、なんど挫折し、なんどやめようと思ったか分かりません。自分は教師に向いていないのではないか、教師の賜物はないのではないかと思い悩み、一向にうまくできない説教と分級を前に、途方に暮れてしまうこと、しばしばでした。これまでやってこれたのは、ただ主の憐れみと支えによってでした。わたしと同じように、来週の奉仕のことで心悩み、重い心を抱いて悶々と悩んでいる教師がおられたら、一緒にこの主の約束の言葉に聞いてみましょう。
「また荒れ野でも、あなたがたがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださった」(申命記1章31節)。まだ福岡で開拓伝道をしていた頃、子どもが小さかったので近くに遊びに出掛けることがありました。出がけは「早く、早く」とせがむ子どもですが、ひとしきり遊んだ帰りはもうすっかり疲れてしまって、「だっこ、だっこ」とせがみます。こちらも疲れているのに、子どもを背負って帰りました。眠った子どもの重いこと! そのときの体の感触を今でも思い出します。この御言葉は、出エジプトしたイスラエルが、荒れ野で40年も放浪した後、やっと約束の地に赴くところで、モーセがこれまでの旅を振り返って述べた言葉でした。神は、わたしたちをずっと背負い続けて、ここまで連れて来てくださったのだと。その間、何度も苦しいことがありました。何度も投げ出したくなることがありました。しかし振り返って見たら、自分一人が苦しみ悩んでいたわけではない、そうやって苦しむわたしたちを、主はずっと背負い続けてきてくださったのだと、モーセは知ったのです。誰も自分のことを分かってくれないと、深い孤独を感じながら、もう一歩も歩けないとくずおれてしまったとき、そこにちゃんと主はいて、傍らに共にいてくださった、そればかりか、その自分をしっかりと背負って、その苦しみと悩みの道を通り過ごさせてくださった、そう理解したのです。
だからモーセは最後に賛美を捧げました。「鷲が、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように」わたしたちを守り続け、背負い続けてくださったと(申命記32章11節)。わたしたちが苦しんだり、悩んでいたりすると、兄弟姉妹や友人はわたしたちに「頑張れ」と励ましてくれます。それが励ましになることもありますが、時には重荷になることもあります。これまで精一杯頑張ってきた、これ以上もう頑張れない、そう思うことがあるのです。わたしたちの主は、わたしたちに「頑張れ」とは言われません。むしろこう言ってくださるのです。「なぜ一人でそんなに頑張るのか、わたしが一緒ではないか」と。一人頑張るあなたに、主はそう約束してくださるのです。
第17号 まえがき (2005年4月) 相馬伸郎 (名古屋岩の上伝道所宣教教師)
「教会学校教案誌の出版のための自由献金を捧げたいのですが・・・。出版を楽しみにしています。がんばって下さい。」「・・・。既に4年前から出版されているのですが・・・。」「・・・。」
これは、先日の編集会議の席上、ある教師から聞いた電話のやりとりのワンシーンです。
日本キリスト改革派教会は、大きな教会でしょうか。決して大きいとは言えないと思います。しかしながら、情報が大会的に行き渡ることにおいて、なおいささか検討の余地があることを示す実例をみる思いが致しました。
最大の原因は、私どもの「宣伝べた」にあるのだと思います。私どもの責任です。もっともっと、大声をあげて、「献金して下さい!購読して下さい!」とあらゆる機会を利用し、メディアを用いて、宣伝すべきなのかもしれません。
「宣伝べた」は「伝道べた」に通じるかもしれません。せっかく「改革派信仰」というすばらしい伝統を継承しているのですから、もっともっと地域の人々に、「わたしたち(の教会)を見よ!」と宣伝すべきではないでしょうか。ちなみに、わたしは、他教会の牧師には日本キリスト改革派教会を「宣伝」することをその使命と感じています。
何よりも問われるのは、この「宣伝べた」が、「日曜学校の伝道熱心の減退」に通じるのであれば、それは、由々しきことです。
たしかに弊誌は、既に大会的な執筆陣を与えられ、購読教会もすべての中会に行き渡っております。中部中会では、三分の二以上の教会伝道所は、定期購読だけではなく、採用して、日曜学校に励んでおられます。さらに、他教派の牧師、教会の方で定期購読しておられる例もあります。しかし、日本の教会、のみならず私どもの教会にも、子どもたちのにぎやかな声が失われ、回復の兆しをなお見ることがないのです。統計的現実は惨憺たるものがあります。つまり、日本の国、日本キリスト改革派教会の将来が危機に瀕しているということです。心は疼きます。
新しい年度が始まりました。他の誰彼に求めるのではなく、私どもから始めてまいりましょう。そのために、弊誌の宣伝のために、ご協力ください。その願いの心は、ただ購読教会・伝道所が増えるということだけを意味しているのではまったくありません。いずれにしろ、日本キリスト改革派教会の青少年への教育的伝道が、正しく、豊かに担われ、前進すれば良いのです。そして、日本に主の教会が力強く立つことです。そのためなら、どのような形、方法であっても構いません。
小さな教会でもあります。しかし、その小ささを逆に生かすこともできのではないでしょうか。力を結集しましょう。
終わりに、大胆にお願い申し上げます。編集部の教師たちのためにお祈りください。皆様のお手元に届けるために、どれだけの犠牲的奉仕をささげて励んでいることでしょうか・・・。皆様の先頭に立って、伝道に勤しむ牧師たちのためにも祈り続けてください。
あなたと、御教会のお働きの上に聖霊の豊かな祝福を祈りつつ。
Soli Deo Gloria!
第18号 まえがき (2005年7月) 中根汎信 (那加教会牧師)
CRC日本ミッションのビジョン・ツァーに参加し、ゴー宣教師に導かれて韓国の教会を見学する機会を与えられた。ソウル市にある高神派のハンヨン教会の教会学校を見学した。
まず私たち見学者がはじめに通されたのは、サラン(愛)部というクラスであった。ダウン症や自閉症などのしょうがいをもった子どもたち・車椅子の生徒たち20名ほど(在籍数は28名とのこと)と、保護者・教会の奉仕者数10名、合計約70名のクラスである。午前9時から10時40分まで活動している。この教会では福音に接しやすい健常者の子ども対象の教会学校より先に、まずこのサラン部を開設したとのことである。そこにもハンヨン教会の信仰の姿勢がみられた。神の愛(サラン)に満ちた雰囲気が、言葉の分からない私たちにも豊かに伝わってきた。子どもたちの自立と就業のための訓練という課題にも取り組んでおられた。
次は各クラスに見学者がわかれて見ることになった。幼稚科・小下科・小上科・中学科・高校科のクラスがある。私は小上科を見学した。椅子や机はなく、小上科だけで約35名の生徒と、教師10名ほどがカーペットの上に座っておこなう。初めは礼拝、その後7つの小グループに分かれて分級をする。同じフロアにところせましと丸く輪になっている。生徒たちも先生も、生き生きとして教会学校が楽しくてたまらないという様子であった。
教会学校教師は約100名、生徒は230名(サラン部を含む)。人口の3割がキリスト者という韓国では、けっして大規模の教会ではないが、この教会学校を見ていると大きな可能性を感じた。私立学校(キリスト教系の学校ではない)の建物を借りての伝道ということで、かなりのハンディがあるはずだが、逆に学校という利点をうまく生かしているように思えた。子どもが解散してから、10名ほどの教師と懇談した。キムチと御飯とスープの昼食をいただきながら、楽しく真剣な話し合いができた。多岐にわたる内容をかいつまんで記したい。
◇韓国の教会の成長は、1970年代・80年代に、教会学校教育に本気に取り組んだことが、大きな要因となっている。「1年先が心配なら種を蒔きなさい。10年先が心配なら木を植えなさい。100年先が心配なら人を育てなさい。」 これは中国の諺を引用してのゴー宣教師の言葉である。
◇何よりも生徒一人一人を愛し、子どもと本気になって向き合い、聖書のメッセージの生活への適応をチェックする。木曜日くらいには生徒全員に電話をし、霊的状態・生活の様子を把握し、教会学校の宿題の進み具合を聞いたりして、主の日の教会学校に備える。
◇日本と同様に、韓国でもいじめや犯罪の低年齢化、受験戦争といった問題がある。そういう子どもへの対応として、学校を利用していることもあり、教会学校が生徒のカウンセラーの役割を果たしている。受験戦争の中で、やはり中高生になると教会学校の出席が減少する。そういう中で信仰にたつか、この世的な価値観にたつか。親と教師はその生き方が、信仰に基づいていることを子に示さなければならない。
◇ハンヨン教会では、狭い伝道面に限らず、社会的・文化的な事柄をふくめて、子どもをとりまく教育全般に配慮してきた。
韓国の教会の成長は特別なことではなく、すべきことをきちんとやり、神がそれを祝福しておられる結果であると感じた。
第19号 まえがき (2005年10月) 辻 幸宏 (岐阜加納教会協力牧師(大垣伝道所担当))
東部中会から中部中会に移ってきて以来、教案誌の編集委員として加えて頂き、微力ながら教案誌の編集に携わらせていただいています。教案誌の発行も5年目を迎え、多くの先生方・教会学校に執筆して頂き、さらに多くの教会に用いて頂けるようになってきておりますことは、感謝に堪えません。しかし編集に携わる者としては、多大な労苦があり、編集が続けられること自体、主の憐れみと励ましがあるからこそ、続けられている働きであるとも痛感させられています。
一方、大会教育委員会においても「教会学校教案誌」を発行する方向にあります。さらに機構改革委員会では、現在、発行されています「大会時報」や、各中会における機関紙(エクレシア、まじわり、改革派中部、リフォルマンダ、四国伝道)、さらには改革派メディアミニストリーで発行されている「家庭礼拝の栞」、各委員会が発行している案内等、情報と家庭礼拝を含む信徒教育を併せ持つような総合情報誌の発行が、将来的な検討課題として挙がっているとのことです。私自身、必要を感じる一人であり、この計画が現実のものとされるならば、素晴らしいことだと思っています。
しかし、同時に、大きな懸念も抱いています。というのは、この情報誌ですと、家庭礼拝の栞も含まれるため、おそらく月刊紙となることでしょう。各号を作成するためには、企画立案・執筆者への依頼・原稿集め・遂行・割付・編集・印刷依頼・発送との膨大な作業が、毎月繰り返されることとなります。もちろん、部分的には、印刷会社に依頼したりすることは可能かと思いますが、その多くを、託された委員会が担わなければならなくなります。企画立案部分は、牧師が中心になって行わなければならないことでしょうが、それ以降の作業に関してまで、委員としての牧師が携わり、大きな働きをなそうとすれば、教会における宣教の働きに影響することは間違いありません。もちろん、こうした働きは、教会に還元されていく働きであり、重要な働きです。しかし重要な働きだからこそ、1年、2年で息切れするような企画ではいけないのです。5年、10年と継続して発行され、改革派教会の全信徒に有用に用いられていくものにしなければなりません。
私の思いとしては、是非とも実現して頂きたい。そして教案誌も、教会学校教師のためだけにではなく、広く信徒の方々にも読んで頂けるものとしていかなければなりません。
だからこそ、大会において新たに始められようとしている試みにおいては、企画立案の委員会と共に、編集などのために、信徒の奉仕としてなされる専属スタッフを確保する必要が欠かせないと考えております。また各企画毎に責任者を配置して、分業制にすることも必要でしょう。
必要が迫られつつも、これを成し遂げるためには、解決しなければならない多くの課題があり、さらに多くのハードルが待ちかまえていることでしょう。だからこそ、人間的な知恵にばかり頼ることなく、主がことを成し遂げるための知恵と賜物とを備えて下るように、祈り続けたいものです。またそれまでの間、引き続き教案誌の発行が続けられますよう、編集部のためにも覚えてお祈り下さい。
COPYRIGHT(C) 2005 日本キリスト改革派中部中会教会学校教案誌編集委員会 ALL RIGHTS RESERVED