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創刊号(第1号)巻頭説教 「子どもたちを主イエスのもとへ」 (2001年4月)
マルコによる福音書10章13〜45節 相馬伸郎(名古屋岩の上伝道所宣教教師)
「子どもたちを私のところに来させなさい。」この主イエスの言葉の中には、憤りが込められております。なぜなら、主イエスの弟子たちは、その時、子どもたち、ルカによる福音書では乳飲み子たちとなっておりますが、彼らを連れてきた親たちを追い返そうとしたからであります。弟子たちは、親たちを叱り飛ばしたのです。「いい加減にしなさい。イエスさまはお忙しいのだ、あなたがたは、イエスさまを何と考えているのだ。いくら優しいお方であるからと言っても、甘えるのにも程がある。確かに主イエスは、病を癒し、神の祝福をお与えくださる。しかし、だからと言って、そのような物も分からぬ子どもたちにまで御利益を受けさせようとして、これ以上イエスさまを身勝手な思いで煩わせることは、我々が許さない。」これは、弟子たちにしてみれば、主イエスをお守りしたい気持ちからの発言であったはずであります。決して、単に意地悪い気持ちで親たちをたしなめたとは考えられません。彼ら親たちの、自分勝手な、御利益を求める心をいさめたのだと思います。
ところが、主イエス・キリストは弟子たちのそのような気持ちを知った上で、認めた上で、しかし、彼らを憤られるのであります。主が弟子たちに憤っておられる。弟子たちにしてみれば、それはどんなにびっくりしたことでしょう。
私共はこの時の主の憤りのお姿をしっかり目に焼き付けたいと思います。何故、主はそれほどまでに、激しく憤られるまでに、心動かされたのでしょうか。なぜ、それほどまで、子どもたちに手を置きたい、神の祝福に与らせたいと願われたのでしょうか。それは、彼ら幼子たちが、親に連れてきてもらう以外に、主のみもとに来る術がないからであります。乳飲み子、つまり彼らは自分の力で歩くこともできません。母の腕に抱かれて、連れられてやって来る以外にないのです。それが、乳飲み子、幼子に他ならないのであります。
マタイによる福音書もルカによる福音書もそしてこのマルコによる福音書も、この物語の直後に金持ちの男、立派な男性と主イエスとの出会いの物語を配置しています。金持ちの男性は、永遠の生命を求めて、子どものときから律法を守ることを心掛けて、真面目に生きてきました。それによって神の祝福を受けているとも考えてまいりました。そして、今、その祝福を揺るぎないものとするために、自分の信仰を揺るぎないものとするために、主イエスのもとを訪ねたのであります。
この男性は、我々からすれば立派な人と見られると思います。見事な生き方をしてきたのです。しかし、彼は神の国から遠ざかってしまいました。離れて行ったのであります。その引き金になったのは、主イエス・キリストからのこの命令を受けたからであります。「持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。」
常識的に考えてみますと、あまりにも金持ちの男性がかわいそうではないかと同情したくもなります。何故、何もしない、何も出来ないそのまま、あるがままの乳飲み子が神の国の祝福にあずかって、何故、あれほどの立派な男性があずかれないのだろうか。弟子たちの、幼子の親にした振る舞いが問題視されるくらいなら、主イエスのこの人への発言はもっと問題なのではないでしょうか。
主イエス・キリストはそのような彼を愛しておられます。だからこそ、彼の自己流の信仰、神理解を覆そうと試みられるのであります。つまり、神の国の福音は、彼が目指したようなあり方、即ち自分で獲得することは出来ない、不可能である事を明らかになさったのであります。言うまでもなく、全財産を捨てることが永遠の生命を受け継ぐ条件となるのではありません。神の国、永遠の生命、救いはただ神の恵みによって与えられるものなのであります。神の国はただ感謝して受ける以外にない、獲得することは不可能なのであります。
福音書記者は、いずれもこの物語の前に、主イエスは乳飲み子を祝福する主イエスの物語を置きます。それは、福音の真理を読者に悟って貰いたいからであります。主イエス・キリストは「持っているものを売り払い、貧しい人々に施しなさい。」と命じることによって、彼を「わたしにはできません。こんな私をお救いください。」と、主イエスによりすがらせようと導かれたのであります。
ところが、この時は、彼は主イエスにすがらずに、元の自分自身の姿、自分自身の生き方へ戻って行きます。悲しみながら。余談ですがその意味で、この時の主イエス・キリストの個人伝道は失敗に終わりました。主イエスも、この真剣な求道者を救いから逃しておられる。しかし、私はこの男性が主イエスの復活の後、弟子たちの交わりに加えられたと信じております。十字架と復活のメッセージを聞いてこの人は、本当に主イエスによりすがって永遠の生命を受けた、だからこそ、この物語が福音書記者によって語り継がれたと信じるのであります。
主から離れて行ったこの男性と弟子たちの信仰の理解は深いところで通じ合っております。弟子たちは、この時点でも、自分たちが立派な大人として見られることが大切である、それこそが救いへの道であると勘違いしておりました。弟子たちは、あの金持ちの男性に勝っている、自分たちは何もかも捨てて従っているという強烈な自負をもっているのであります。それが、ヤコブとヨハネが、他の弟子の抜け駆けをして、主イエスが王として即位なさった時に、右大臣、左大臣にしてくださいと頼んだ事件に明らかです。しかもそこで彼らは、主イエスが「このわたしが受ける洗礼を受ける事ができるか。」と仰った時、なんと「できます。」と即答したのでした。彼らもまだ、幼子を祝福する主イエスの教えが分からないままであったのであります。
しかし、私共は今、しっかりと悟りたいのであります。つまり、主イエスの前では、誰でも幼子であるということをであります。幼子であれば、できることは受けることだけです。よりすがることだけであります。実は、主イエスはあの金持ちの男性も、先程の幼子として、幼子のように見ておられるのであります。勿論、それは弟子たちも例外ではありません。ペトロやヨハネも主イエスから子どもと見られているのであります。24節では、ハッキリと主は、「子たちよ」と弟子に呼びかけておられます。
ところが、彼ら弟子たちも、あの男性と同じ考えを捨てきれてはいませんでした。
私共は弁えたいのであります。私共は全員、救いを受けると言う意味から言えば乳飲み子であることをであります。つまり、乳飲み子以外に神に救われることはできないのであります。
さて、私共は教会学校の教師、奉仕者としてこのメッセージを聞きたいと思います。乳飲み子、幼子こそが救われる、主イエスに手を置かれると言うメッセージを受け入れるなら、私共教師は、ここで「子どもたちを私のところに来させなさい。」と仰る主の命令をどのように聴くのでしょうか。私共は、この主イエスの子どもと言う言葉を自分が受け持っている幼稚科の子ども、小学生、中学生として受け止めて構わないと思います。特に、私はこの「子ども」とは、先程申した御言葉に照らして考えるなら、教会に来る術を知らない子どもたち、つまり、地域の未信者の子どもたちの事を念頭において聞くことこそ求められていると思っております。
大会の教勢統計を見ますと、教会学校の生徒の減少傾向は、昨年、やっと横ばいになったように思います。しかし、それは喜ばしいと言うよりは、ほとんど落ちるところまで落ちたと言うことではないかと考えています。一体、今、中部中会の教会学校は契約の子以外に、地域の子たちがどれほど来ているのでしょうか。もしかすると大部分が、契約の子なのではないでしょうか。勿論、教会学校の最も大切な務めは、教会の信仰を契約の子らに継承することであります。私はそれが教会の伝道と教育の最優先の事項、最も大切な務めであると信じております。それなしにはこの地上に歴史を担う揺るぎない教会の形成は実現しません。しかし、もう一方で、かつての日本の教会、しかもまだ十数年前の教会を思います。それは、未信者の子供たちで溢れかえっていました。私の神学生の時の奉仕教会の一つは、小さな教会でありましたが、100名あまりの教会学校の生徒が通っていました。
教会学校から地域の子どもたちの姿が消えて久しいこの日本であります。その間に、我々の国はどうなったのでしょうか。改めて申すまでもないでしょう。人の生命の重みを畏れる感覚が麻痺してしまっている子どもたちが育ったのです。教育が機能しなくなったのです。私共はこれを、政治家、教育行政、学校関係者の責任を問うことはできないのではないでしょうか。むしろ問われているのは日本の教会であります。世の中の人は誰も教会学校の責任を問いません。なぜなら、重要視していないからであ
ります。それにあぐらをかいて、自らの責任を思わなければ、他の誰でもない、私共自身が、教会学校の重さ、大切さを弁えていないということになるのではないでしょうか。私共は、この日本にどれほど、教会が、教会学校が大切であるかを、今日あらためて皆さんと弁えたいのであります。
何よりも、主イエスは、私共一人びとりにここで命じておられます。その厳かなる招きの声を聴きましょう。「子どもたちを私のところに来させなさい。」主は、日本の子どもたちを憐れんでおられるに違いないのであります。子どもたちの心の荒廃を痛んでおられるに違いありません。この主イエスが日本の、日本人の心の、とりわけ子ども、思春期の子どもらの現実を嘆き悲しんでおられるます。私共はその嘆きに、その御心にもっと寄り添ってよいのではないでしょうか。主の嘆きを共に嘆くところから、私共の教会、教会学校の新しい取り組みが始まるのではないでしょうか。
しかし私はそこで、すぐに教会学校の教師たちは小学校の校門に行って教会学校の案内を配りましょうとは申しません。昔の状況とは違って来ています。ただそこでこそ、この事はきちんと確認したいと思います。子どもに伝道するのは、あるいは子どもの伝道を担うのは、実に子どもたち自身であるということであります。教会学校に来ている子どもたち、契約の子こそが伝道の担い手なのであります。これは、ちょうど伝道が信徒の務めであり、牧師が、地域の人びとを教会に連れてくるのではなく、信徒、教会員がそれを担うということと同じ原理であります。教会学校の主役は、子どもたちであります。子どもは子どもとして神に用いられるのであります。間違ってはならない、子どもたちの方がよっぽど伝道に関して、神のお役に立てるとさへ思います。子どもが子どもを呼ぶのです。誘うのです。子どもの世界に入ってゆけるのは子どもだからです。教会学校の先生は、子どもたちに、主イエス・キリストの素晴らしさ、神の愛のすばらしさ、教会学校の楽しさを味わわせるのです。何よりも、神のお手伝い、神の喜ばれる伝道の奉仕を担うことの光栄を、喜びを、教え励ますのです。それが、教師の務めの大きな一つなのであります。
最初に、神の国に入るのは幼子のみであると確認致しました。その上で、私共は皆、キリストにある幼子であることも確認致しました。神の壮大な救いの御業は、他ならないその幼子によってこそ担われるのであります。私共も神の幼子として、教師として奉仕を担うのであります。教会学校の子どもらもまた同じように、そのままで神の救いの歴史を担う奉仕者とされているのであります。
この日本の闇を払うのは、光なるイエス・キリストのみです。この闇は、最も弱い子どもたちに刃を向けています。子どもたちが本当に聴きたいと心の深いところで求めているのは、真の神がおられると言うメッセージであります。御子イエス・キリストの愛の福音であります。先に救われたキリストにある幼子である私共は、主イエスからこの厳かな命令を受けています。「子どもたちを私のところに来させなさい。」
祈祷
子どもを愛しておられる、主イエス・キリストよ。私共に志を与え、教師としての奉仕を託してくださった父なる御神。どうぞ、私共の貧しい奉仕を用いてください。契約の子らが信仰を継承し、福音の喜びにあずかり、これを伝えることが出来ますように。神なく望みなきままに放っておかれている、日本の子どもたちを憐れんでください。彼らを、教会へ取り戻すために、私共教師の祈りを、その叫びを熱くしてください。その奉仕の業を祝福して下さい。アーメン。
※2000年11月23日に名古屋教会で行われた「中部中会教会学校教師研修会」の開会礼拝の説教を掲載しました。教案誌の作成は、このときの話し合いを発端としています。
第2号 巻頭説教 「私を受け入れてくださるキリスト」 (2001年7月)
−ルカによる福音書19章1〜10節による説教−
2001年4月30日(月)日曜学校フェスティバル開会礼拝
遠山信和(恵那教会牧師、中部中会教育委員)
日曜学校のフェスティバルで、このようにそれぞれの教会において教会学校の奉仕をしておられる皆さんがともに集まり、研鑚のとき、あるいは情報交換のとき、交わりのときを持つことができますことを感謝いたします。
エリコというのは、実に豊かなところでありまして、砂漠をバスで運転していきますと、とおくにみどりが見えてまいりますけれど、バスが近づけば近づくほどこれが豊かなみどりのオアシスである事が分かります。エリコには2つの豊かな泉がありまして、涌き出ていて、周り一帯を緑にしているんです。エリコには、日本でも見たことが無いようないろんな果物がたくさん売られていました。
ですから人口の多いところであり、徴税人も多かったんですが、ザアカイは、徴税人のかしらで金持ちであった、といわれています。
ザアカイはお金持ちだったんですけれど、人々から尊敬を受けなかった。むしろ馬鹿にされ、いやがられ、後ろ指をさされる。そういう徴税人でした。「徴税人はローマの手下だ。われわれはどうしてローマに税金を納めなければならないんだ」。人々はそうつぶやきました。それだけではなくて、騙し取るということを徴税人は行なっていたので、人々から嫌われ、憎まれ、拒絶されていたんですね。そして彼は家庭らしい家庭を持っていなかったのでしょう。貧しい生まれだったのでしょう。教育のない、貧しい人間が成功するためにどうしたらいいだろうか。そう考えて彼は徴税人になったのです。しかも彼は背が低かった、と書いてあります。背が低いといっても、一般的にあの人は背が低いほうだねというのではなく、見た瞬間に背が低いと分かるような背の低さだったんですね。
確かに劣等感をばねにして成功する、という人もたくさんありますね。ここに出てくるザアカイも、「見返してやる」という思いで、これまでそれこそ必死に成って働いて徴税人になって、それも徴税人のかしらになって、たくさんのお金をもうけてきたのでしょう。「自分は貧しいし、背が低い、みんなが自分を見て馬鹿にする。よおし、徴税人になって見返してやる」。こういうところがあったのでしょう。
ザアカイは、単に徴税人というだけではなくて、徴税人のかしらになりました。私は、大金持ちになることは、そう簡単な事ではないと思います。そしてりーダーになると言うことは、そんなにたやすい事ではないと思います。不正な取立てをしたとしても、悪いことをして大金持ちになるということも、そんなに簡単な事ではないでしょう。しかもそのかしらになると言うことは、徴税人であろうと、あるいは海城であろうと、あるいは暴力団、やくざであろうと、かしらになるということは決して甘い世界ではないと思います。かしらになるということは、頂点に立ってリーダーシップを取るということは、ものすごいたいへんな事で、やはりある技量のある人でないとかしらになったり、リーダーになったりすることはむずかしいでしょう。私たちは、社長さんなどを見ると、「うらやましいなあ、権限がある。部下を怒鳴りつける事が出来る。部下を思うように使って、そして部下たちはかしらのために一生懸命仕えている。ああうらやましいな」、と思いますが、おそらく社長になったら、「ああ、社長ってたいへんだな。苦労が多い。寂しい。孤独である。不安である」と思うでしょう。社長である人は、孤独であり。不安があるだろうと思います。
ザアカイは、確かに金持ちになったのですが、不安も寂しさもある。人びとから後ろ指をさされる。人々は彼を見て、背が低いために馬鹿にするというようなところがあって、決してですね、金持ち担ったにもかかわらず満足はしていなかったに違いありません。彼は寂しかった。自分の心の中に何かぽっかり穴があいているようなむなしさを感じていたんでしょう。自分に無いものを持っているイエス様に是非会いたいと思っていたのです。しかし彼は背が低いので、群集のために見ることが出来ない。それほど低かったんですね。「それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。」40何歳の男だったかもしれませんけれども、彼には子どもっぽいところがあったのでしょうか、むしろイエス様に合いたい一身で彼はイチジク桑の木に登りました。そしてイエス様が、「今日はあなたの所に泊まることにしている」といわれると、急いでその気から降りてきました。5節、「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。」
今までこのザアカイという徴税人は、探していたんです。自分を受け入れてくれる人を。お金もちにはなったけれど、お金では幸せを買うことができません。ウソをついたり、ごまかしたり、ひどいことを言ってお金を奪い取ることもあった。汚れたこの私だけれど、この私をそのままで受け入れてくれる人はいないだろうか。彼の無意識の心の叫びは、自分を愛し受け入れてくださる方を求めていたのでした。
周りの人たちは、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやきましたが、彼は、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。イエス様は、決して、あなたの全財産を貧しい人に分けて上げなさいといわれたんじやなくて、私はあなたの家に泊まることにしているといわれたのにもかかわらず、彼は大喜びをしてイエス様を迎えるわけです。そして、私は財産の半分を貧しい人々に施します。迷うことなく、決断しました。
彼はイエス・キリストに出会って、その愛に触れて、価値観が変わって、よし、自分にできることをしようといって、財産の半分を貧しい人に施しますとイエス様に応えるのです。
マックス・シェーラーという方が次のように述べています。世の中にはたくさんの人間がいるが、2種類に分けられる。上品な人と下品な人である。下品な人とは、人と人とを比較する人。人と人とを比較して、私のほうがえらいとか劣るとか、傲慢になったり卑屈になったりする人である。上品な人とは、比較を超えた世界に生きている。誰もがその人として尊いのだというように、その人の存在そのものに絶対的な価値を置いている人である。うぬぼれることも相手を馬鹿にすることもなく、人の優位にたちたいとか、負けたくないということもない。
上品な人は、常に自分を、自分の知恵や力を必要としている人に役立てたいと願い、実践している。下品な人はいかにして得るかを考えるが、上品な人は与えることを喜ぶ。
イエス様との出会いの中で、自分をあるがままに受け入れてくださった神の愛に触れて、ザアカイは、与えることを喜ぶ人に変えられていったんです。
マックス・シェーラーはまた、わが国の教育は、人と人とが比較され、競争原理が持ち込まれている。いす取りゲームなどで競争心をあおり、いかにして勝つか、いかにして得るかが強調され、力の原理が導入されている。ともいいました。これは日本においても同じことといえるでありましょう。こうした中で、心に病を抱えた子供や大人たちがたくさんあることを思います。今の学校教育は、力の論理があります。できるかできないか、できない者は切り捨てられていくというようなところがあるのです。心の病を抱えた人がありのままに生きるとはどういうことなのでしょうか。
東洋大学の伊藤隆二教授が、ベルギーのゲールという町のことを紹介しておられます。これは私が行きたい町のひとつなのですが、ベルギーは、人口1000万人 アントワープ近くのゲールという町は、人口2万5000人、戸数は約5000戸のところに、心の病を持つ人を3000人を受け入れています。この里親制度は、何と350年も続いてきているのです。里親の条件は、30歳以上、家の中に寝たきりがいない。一定の収入がある。1部屋をその人のために提供する、ということが里親になる条件だそうですが、小さな町に3000人もの心の病を持つ人を受け入れているというのは驚きです。
神経症や精神分裂病、うつ病など、心の病を抱えた人と関わっていくときに、それがどんなに大変なことであるのかを知らされます。日本では、こうした人たちは精神病院に閉じ込めて、薬づけにされて、何十年経ってもよくならないということが多いのですが、ゲールにおいては、そこで多くの人々が生きる喜びを見出し、癒されていくようになるんです。里親になった家庭には、月8万円をベルギー政府が援助して、お医者さんが派遣されて、この町に国立病院が出来ているということですが、ゲールの町の人たちがしてきたことは、イエス様がザアカイになさったことではないでしょうか。
「素人に任せてもいいんですか」という質問に対して、当地の方は、「素人だからいいんです。あずけるとき一切の病歴は問いません。一切関係ない。その人の人間としての価値を見ますから」。とお答えになったそうです。心の病を持っていた人が、あるときゲールの町に来て、そこで暮らしていくうちに、絶望から希望に変えられていく。それを見る子供は生きた教育をうけていくのです。その子供たちが、大人になったら自分も里親になって心の病を持った方々を受け入れていこうと思うようになって、これが350年も続いてきているんです。里親になる家族の人たちにただひとつお願いすることは、「その患者を受容してください。存在を喜んでください。」このことだけをお願いするのだそうです。「ゲールの人たちはみなお互いを受容し合っている。これ以上の教育を私は知らない。」伊藤教授はこのように述べておられます。
イエス様は、エリコにこられたのですが、5節を見ると、「その場所に来ると」と言われています。ザアカイは木に登るんですが、イエス様はちょうどそこにくると、イエス様のほうからザアカイの所にきてくださいました。
第2番目にイエス様は、ザアカイを見上げるわけです。バルテマイという男は、目が見えないで、物乞いをしていました。そしてイエス様の足元にひざまずきましたけれど、今度はイエス様のほうが、木に登っているザアカイを見上げるんです。なんと大切なことを教えているんでしょう。人々が馬鹿にし、人々が避けていた男をイエス様は見上げる。そうして彼に対してお話をするんです。
第3番目に、「ザアカイ」と呼びましたから、ザアカイはびっくりしたでしょう。どうしてイエス様は、このザアカイの名前を知っていたんだろうかということですけれど、イエスさまの弟子にはマタイがいました。マタイも徴税人をしていたのです。あるいはエリコに下っていく途中で、マタイがイエス様にお話したのでしょうか。「エリコには、ザアカイという徴税人がいて、彼は徴税人のかしらなんですよ。背が小さいんですが、ずいぶんあくどいことをして大金持ちになったけれど、とってもさびしい人間なんですよ。」そんな話を聞かれたのかもしれません。イエス様がその男を見たときに、これがザアカイだということが分かって、近づいて、彼を見上げて、「ザアカイ」と名前を呼ぶんです。「急いで降りてきなさい。今日はあなたの家に泊まることにしている。」イエス様ははじめから計画をしておられたわけです。
人々はつぶやきました。あのイエス様は、罪人に話しかけて、あんな汚れた男の家に行って泊まろうとまでしている。ところがイエス様は、「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」とおっしゃいました。ザアカイは、自分が失われた者であるということをよく知っていました。
ルカの福音書18章18節以下には同じ金持ちですが、ユダヤの最高議会の議員である人が、イエス様に質問したことが書かれています。
「善い先生、何をすれば永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」どうしたらいいでしょうか、とイエス様に質問したところ、「律法を守り行いなさい、」「それは子供のときから奪っています。」でも、「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」そういわれて、彼はイエス様のもとを去っていきました。
この二人の違いはどこにあるのでしょうか。一人は自分が失われたということに気がついていないんです。自分は失われていない。私が失われた人間だなんてとても考えられない。私はよい家庭に育ち、幼い頃から宗教教育を受け、家庭教育を受け、幼い頃からそれらのものをみんな守っており、父と母を敬い、勉強し、自分は議員になり、お金持ちにもなった。すべてがうまくいっている。ところがザアカイは、お金持ちにはなりましたけれど、自分が失われた者であるということに気がつきました。イエス様を見て興奮するのは失われているからです。
「心の貧しいものは幸いです。神の国はその人のものです。」ザアカイは心が貧しかったんです。議員の青年は心が富んでいました。同じ金持ちでしたけれど、一人は心が富んでおり、一人は心が貧しいもので、一人は、「何が必要ですか、私は十分やっています」と言い、一人はイエス様の所に走って行って、イエス様を見たい、イエス様に出会いたい、そしてイエス様が迎えてくださると大喜びしたわけです。
エリコはのろわれた町でした。ヨシュアが、神の民を連れてやってきたときにエリコは城壁で囲まれていました。そしてヨシュアが叫ぶと、自分の軍隊が叫び、そうするとユリコの城壁が崩れ落ちたのです。ヨシェアは言いました。この町を再び立てるものはのろわれよ。彼はのろいをかけました。ヨシュアによってのろわれた湯所がユリコでしたけれど、そののろわれた場所にすんで、のろわれた生活をしていたのが、このザアカイだったんですが、イエス様はこののろいを祝福として変えるんです。
これは私たちの生涯にも起こることです。のろいが祝福に変えられる。罪あるものを招いてくださる方によって、私たちもこの祝福の中にいれられていることを感謝したいと思います。
※2001年4月30日(月)に四日市教会で開催された「日曜学校フェスティバル」(四日市教会主催)の開会礼拝の説教を掲載させていただきました。
第3号 巻頭説教 「生命の守り手」 (2001年10月)
−詩編23編1〜6節による説教− 木下裕也(豊明伝道所宣教教師)
詩編23編は、主なる神さまを羊飼いに、また人間を羊にたとえています。そのことによって、人間は生まれながらに孤独な存在ではなく、彼の命の与え手、また守り手である神さまとともにある存在なのだということが明らかにされているのです。
羊飼いは羊たちを心から愛して、食料となる青草を、手をとるようにして食べさせ、また喉のかわきをいやす水のほとりにまで導いていってくれるのです。人間は生まれるときもひとり、また死ぬときもひとり、そのように言う人が時折ありますが、そうではありません。造られた者は、自分を造ってくださったお方と、はじめからともにあるのです。すなわち、造り主とともにあるということが、人間の本来のありかたなのです。ちょうど、羊が羊飼いのもとを離れないようにです。
そして私たちはこの詩を理解するために、さらにふたつのことを知っておかなければなりません。この詩がうたわれているその情景はどのようなものであるのかということと、羊とはどのような動物であるのかということです。
まず、この詩の情景についてですが、青草の原とか憩いの水のほとりといった言葉もあることから、青空と濃い緑の中で羊がのんびりと草をはみ、それを羊飼いがいつくしみのこもったまなざしで見つめているというような、のどかで牧歌的な、ちょうどアルプスの少女ハイジの世界のような光景を想像する人が多いのです。すでにクリスチャンとして生きている人々の中にも、この詩を愛する人々は多いのですが、その人々も、今申したようなイメージでこの詩の背景をとらえている人は案外多いのです。
けれども、実はそうではなかったのです。この詩の背景として横たわるのは、パレスチナの荒涼とした砂漠です。食べ物も飲み水も乏しく、切り立った崖が随所にあり、また獅子や熊といった獰猛な獣が跋扈する、そういう所に羊たちは飼われていました。
この詩は、そういう乾いた、また危険に満ちた砂漠を、人間の人生そのものになぞらえているのです。
私たちの人生はいつも平穏であるわけではありません。いつ獣に襲われるかわからない、いつ崖下に転がり落ちるかわからない、もともと私たちの人生は、そのような危機や不安定さと背中合わせであるというのが、本当のところです。この詩はそういう現実をごまかすことなく、正面から見つめるまなざしをきちんと持っている。そしてそこから語り始めるのです。
次に、羊とはどういう動物であるのか。羊の特徴は二つあります。第一に、近くのものしか見えません。遠くのものは見ることができないのです。ですから、どうかするとすぐに迷子になってしまいます。
第二に、羊は自分の身を守る武器を持ちません。鋭い牙も、早く走ることのできる足も持ちません。パレスチナの砂漠に跋扈する獰猛な獣に襲いかかられたなら、ですからひとたまりもありません。
従って羊という動物をひとことで言い表すなら、無力であるということになります。あるいは無知であると言うこともできるでしょう。それが、聖書が人間を見るときの、ある確かな見方、つまり人間観です。
これは確かなことだと思うのです。私たちは、時に自分のことは自分がいちばんよく知っていると思うことがあるかも知れません。けれども、案外自分のことを私たちは知らないものです。他者から指摘されて、はじめて自分の重要な面に気づかされたりすることは珍しくありません。また、自分は強いと思い込んでいる人が、何かあると意外なほどもろかったりします。
そういうわけですから、羊はひとりでは生きていくことはできないのです。ましてやパレスチナの砂漠の真ん中にひとりで放り出されては、一日たりとも生きていけないのです。
けれども、だからこそ羊飼いがいつもともにいるのです。そして、厳しい砂漠の環境の中でも、羊を守り養い、いつくしみをもって導いてくれるのです。羊飼いは一頭一頭の羊に呼びかけ、青草や憩いの水の水辺まで誘っていき、ときには身をていして獅子や熊とたたかって、命をかけて羊の命をまもるのです。
そして羊飼いは、近くのものしか見ることができない羊自身が自分について知るよりも、はるかに羊のことをよく知っているのです。事実、昔の文献によれば、パレスチナの羊飼いは一頭一頭の羊に名前を付け、寝起きをともにし、その性格から何から熟知していたようです。羊の生きるべき道を、羊飼いは知り尽くしている。羊にとって何が幸せか、あるいは不幸か、どの道を行ったらよいのか、そのことを本当に知っているのは羊ではなく羊飼いなのです。
地図もなく山に登るのは危険です。また、灯もなく夜道を歩くのは不安です。荒涼とした砂漠に置き去りにされた羊も同様です。けれども頼もしい羊飼いがついています。そして、羊飼いは羊に、命の道を指し示してくれるのです。羊飼いの声、言葉、これが羊の命を守り、羊の命をはじめからおわりまで見取ってくれる。そういう羊飼いなる、主なる神さまが、私たち羊とともにいて下さるのです。この神さまとともに生きることが、私たちの命の道です。
3節には、羊飼いが羊の魂を生き返らせてくださるとあります。また、主はみ名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれるともあります。羊飼いが羊の行くべき正しい道を教えてくれる。羊がその道に従っていくとき、羊の魂は生き返るのです。
4節に注目しましょう。ここで詩人は、死のかげの谷を行くときにも、羊は災いを恐れない。それは羊飼いがともにいてくださるからだとうたいます。
死は人生の最大のわざわいであり、不可解であり、悲劇です。さきに触れた人生そのものの不安定さということも、(私たちがそのことを日々の中でどこまで意識しているのかは別として)私たちの日々がたえず死のかげの谷と隣り合わせであることから来るものなのです。生の裏側には死があります。死はいつ訪れるかわかりません。若き日にも死は訪れます。また多くは、唐突にそれまで積み上げてきた人生を断ち切るように、中断するように、突然に死は訪れます。
死の前では、まさに人間は羊のように無力です。誰にでも、一度死が訪れること、私たちの人生にとって、これほど確実なことはありません。けれども私たちは誰もが生きることを望む。死の克服を望む。では、どこに命の道はあるのか。
答えは聖書に、この詩編に記してあります。まことの羊飼いのもとにこそ、命はあります。羊飼いなる神は、私たちの命の造り主、与え主です。そして同時に、私たちの死を滅ぼして、まことの命を取り戻して、回復して下さるお方でもあるのです。
死がどこから来るのか。ここに言う死とは、ただ呼吸が止まったとか脈がとまったとか、そのような言わば医学的な意味での死ではありません。もっと深い、そして大切な領域における死、人間存在の、トータルな意味における死です。そういう死が、どこから来るのか。羊が羊飼いのもとを離れるところから来ると聖書は語ります。羊飼いを離れても、ひとりで生きていくことができる。自分の力でやっていくことができる。羊はそう考える。そして羊飼いから離れます。
けれども羊は無知で、視野の狭い動物です。自分の身を守ることのできない動物です。これが正しい道だと思っても、そこで道から大きく逸れているということがある。人を愛したいと思う。けれども愛することができない。平和な世界をつくりたいと願う。けれども争いが絶えることはない。隣人と分け合いたいと思う。けれども独り占めをしてしまう。それは、羊がまさに羊であるというところから来る悲しみであり、さらに言うなら、羊が本来の場所から、すなわち羊飼いのもとから離れているところから来る悲惨です。人間に本当の死を、あるいは死の痛みや滅びへの恐れをもたらすのは、このような無知や無力です。これらが自分と隣人の命のすこやかさを損なうのです。
そのように、羊飼いから離れた羊、パレスチナの砂漠に置き去りにされた羊には、至るところで死の危険が待ち受けています。いつ死のかげの谷の谷底に転落するかわかりません。いつ獣に襲われるかわかりません。
しかし羊飼いは、みずから自分のもとを離れ去った羊をもういちど自分のもとに招き寄せようとなさいます。羊飼いは羊を愛しているからです。そして羊飼いは、羊たちの死を命にかえてくださるお方です。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネによる福音書10章11節)
私たちのまことの羊飼いであられる主イエス・キリストは、私たちのために十字架の上で死なれました。それは、まことの羊飼いが、羊のためにあらゆる人生のわざわいとたたかってくださったということ、そして、羊が命を得るために、ご自分の命を捨ててくださったということです。
主イエス・キリストは十字架に死なれてから三日目の朝に、死を破って復活なさいました。それは羊飼いが、羊からまことの命を奪おうとするすべての罪や悲惨にうちかたれたことの証明です。このことによって羊もまた、復活の命の恵みを受けて、死から命へとうつされるのです。この命こそが私たちがそこに生きるべきまことの命です。
羊が、自分のために死んで、そして自分の受けるべき死を破ってくれたまことの羊飼いとともにあること、それが生きるということです。そしてその羊飼いなるキリストと羊である私たちの命の絆は、死をはるかにこえるほどに強いのです。
主イエスこそ私たちの命の守り手であられます。このお方のもとに来る時、私たちは生きるのです。このお方は私たちを永遠に、まことの命の祝福のもとにとどまらせて下さるのです。
第4号 巻頭説教 「あなたの子にこう答えなさい」 (2002年1月)
−申命記6章1〜25節による説教− 村手淳(太田伝道所宣教教師)
2001年11月23日(金)中部中会教会学校教師研修会開会礼拝より
旧約のモーセの昔、主は、「将来、あなたの子が、何のためですかと尋ねるときには、あなたの子にこう答えなさい」と、わが子への答え方を教えられました。今日はこのモーセの説教を通して語られる主の御言葉に耳を傾けて、日曜学校の活動にたずさわる私たちの励みとしたいと思います。
まず最初に私たちが注目すべきことは、20節、「将来、あなたの子が」といっていることです。つまり、この時点ではまだ子供はいません。1節でも「あなたたちが渡って行って得る土地で行うべきもの」と言って、まだ渡っていない、得ていない状況なのです。これは、現在まだ子供も土地も得ていない状況だけれども、将来土地を得、子供を持つ時には、という意味なのです。主はイスラエルをエジプトから解放され、ご自身の民としてくださいました。更に主はそのご自身の民に豊かな土地を約束されたのです。将来土地を、そして子供たちを得ること、それらが象徴する豊かな祝福を約束しておられるのです。
その祝福は10節で「あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑」と言われているように、自分たちの労苦で得るというのではなく、恵みとして与えられるものであることを教えています。この祝福は「食べて満足する」という祝福で、必ず私たちを満たしてくれます。
そして、主がこんな約束をしてくださる根拠は、「あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた」、この主の誓いにあります。人の心は時と共に移り変わりますが、主は時代をどんなに隔ててもご自身の契約に変わることのない誠実さをもって臨んでくださいます。この変わることのない誠実さをもって、主ご自身がその祝福を約束してくださるのですから、私たちの日曜学校の働きも決して無駄には終わりません。いいえ主が祝福を約束してくださいますから、私たちもまた一層祈りをもってこの活動に励みたいと思います。
次にその神の祝福を受けて家族とその家を持ったときのあり方を6〜8節で教えておられます。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」
「座っているときも歩いているときも」とか、「寝ているときも起きているときも」とは、文字通りの四六時中というよりもむしろ普段の生活の中でという意味でしょう。礼拝をしに教会堂に来ているときだけでなく、寝食を共にする家族生活の中で語り聞かせなさいということです。「自分の手に結び、覚えとして額に付ける」というのも文字通りというよりは、手に結べば何をするにしてもそのことを覚えますし、額につければ何を見てもそれを意識しますから、自分の働きや判断にいつも覚えるようにという意味なのでしょう。「戸口の柱にも門にも」は家の中だけではなく、外にもという意味でしょう。つまり、自分の家の信仰を外部にも明白にし、自分自身の思いも業もそのしるしを付けたものとして行い、家族生活においても語っているという姿勢を教えておられるのでしょう。普段の生活の中では語らず、礼拝堂の時だけ聞かせたり、自分の心の中だけで信仰をふせていたり、あるいは家の中だけで信仰生活を営み、外部には伏せていたり、そういう家族生活の断片的な信仰ではなく、すべての営みにおいて主をたたえ、主に祈り、主に依り頼む生活を勧めているのです。そういう営みに努める時、18〜19節、「そうすれば、あなたは幸いを得、主があなたの先祖に誓われた良い土地に入って、それを取り、主が約束されたとおり、あなたの前から敵をことごとく追い払うことができる」のだと教えているのです。
そんな信仰生活に努める中で、最後に子供に語る教えが付けられています。それは「主が命じられたこれらの定めと掟と法」すなわち主の御言葉を、単なる教えとしてではなく、救済の信仰的体験と合わせて語るというものです。「我々は」とあるようにこれは歴史上の先祖の物語ではなく、語る私たち自身の体験として捉えています。更にその体験は「主は我々の目の前で」と語るように主の御業の目撃者としての体験で、即ち証です。主の御言葉は単なる宗教的な教えではなく、親の証を伴う重みのあるものとして語り継がれるのです。
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