原子力発電所の廃止と原発によらない社会への転換を求める声明

〜神の創造された世界といのちを守るために〜


原子力発電所の廃止と原発によらない社会への転換を求める声明

〜神の創造された世界といのちを守るために〜

 

2012年10月16日 

日本キリスト改革派教会 大会「宣教と社会問題に関する」委員会

委員長 弓矢健児

はじめに

 2011年3月に起こった福島第一原発事故は、広島原爆の168倍、チェルノブイリ原発事故の4割を超える大量の放射性セシウムを外部に放出させるなど、日本の災害史上でも類を見ない深刻な環境汚染をもたらしました。その結果、約10万人の人々が家や仕事を失い、避難を余儀なくされました。立ち入り禁止区域に取り残された多くの動物たちが飢えや渇きの中、苦痛に悶えながら死んでゆきました。さらに今後懸念されるのは大量に放出された放射性物質による外部被曝、内部被曝の影響です。被爆の影響は世代をまたいで現れます。今後長期に渡って環境や生命への深刻な被害も懸念されます。

 私たちは、この世界のすべての被造物に壊滅的な被害をもたらす原子力発電所の建設や原子力行政に対して、今まで目を閉ざし、警告する務めを怠ってきました。その怠慢を神の御前に告白します。人間の罪によってすべての被造物が虚無に服し、呻いています(ローマ82022)。私たちはその呻きに真摯に耳を傾けつつ、悔い改めの思いを持って、以下の理由から原子力発電所の廃止と、原発によらない社会への転換を求めます。

 

1.原発は神の創造の秩序と被造世界に対する倫理的責任に反します。

 神はこの世界を善きものとして創造し、人間にこの世界のすべてのいのちと自然を正しく管理し、耕し守ってゆくという倫理的責任を与えられました(創世記128215)。科学技術の目的は、そうした倫理的責任と深く結びついており、原発の問題も単に技術的、経済的な問題であるのみならず、倫理的な問題がその根底にあります。しかし、チェルノブイリ原発事故、福島第一原発事故を通して、私たちが経験したことは、原発が神の創造の秩序を破壊し、被造世界に対する倫理的責任に反するという事実です。

原子力発電所は、原子炉の中で人為的にウランを核分裂させることによって発生する強大な熱エネルギーを利用するものです。しかし、一度始まった核分裂は連鎖的に分裂を繰り返し、膨大な熱と危険な放射性物質を発します。それを安全に管理することがいかに難しいかは、スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、そして今回の福島第一原発事故からも明らかです。結果的に人為的ミスや自然災害により、生命に有害な放射性物質が大量に外部に放出されました。

 

また、原発は「使用済み核燃料」と呼ばれる放射性廃棄物を大量に発生させます。これらの放射性廃棄物は何万年先の未来に至るまで危険な放射線を出し続け、将来に渡って環境を破壊し、子孫のいのちをも危険にさらします。このようなことは決して許されることではありません。

いまだ人類は原発を完全にコントロールする技術も放射性廃棄物を完全に無毒化する技術も持っていません。原子力発電は世界を治めるという人間の責任に照らしたとき、その限界を超えていることは明らかです。原発を推進することは神と被造世界に対する人間の倫理的責任を放棄することに等しい行為です。

 

2.原発は神の正義と公平に反します。

 神はイエス・キリストにあって世と和解し、この世界に正義と公平の実現を望んでおれます(コロサイ120、アモス524)。科学技術も正義と公平の実現に資するものであることが必要です。しかし、原発は社会の中に大きな差別・不公平を生み出しています。

第一は、原発労働に携わる人々に対する差別・不公平です。原発の原料であるウランの採掘や加工、原発の維持管理、放射性廃棄物の処理、原発の事故対応など、原発に携わる人々は常に危険な被爆にさらされています。特に、危険な点検・清掃作業は所謂「下請け、孫請け、ひ孫請け」とも呼ばれる弱い立場の労働者に押しつけられています。彼らは有害な放射線を多量に浴び、自らの命を削ることによって働かざるを得ない状況に置かれています。彼らの中には、原発労働による被爆によってガンになり、若くして命を失った人々もいます。このように原発は弱い立場にある被爆労働者に何重にも危険を押しつけ、彼らの命の危険と犠牲の上に成り立つ不公平な発電システムです。

第二は、地域間における差別・不公平です。危険な原発は消費地である都会ではなく、人口過疎の地方に押しつけられてきました。また、危険な放射性廃棄物の処分地も同様に、青森県の六ヶ所村を始め、経済的に弱い立場の地方や国々に押しつけられています。そうした不公平の結果、今回の福島第一原発事故によって、原発立地地域とその周辺の住民は故郷と命の安全を奪われ、筆舌に尽くしがたい困難と危険の中に置かれています。原発が存在する以上、こうした地域間の差別と不公平、悲劇が絶えず繰り返されます。

このように原発は一部の労働者や地域の人々に極端に大きな危険と犠牲を負わせる発電システムです。このような差別と不公平な前提とした原発に社会が依存することは、神の正義と公平に明らかに反することです。

 

おわりに

福島第一原発事故を経験した私たちは、もはや沈黙していることは許されません。神の創造なさった世界と、すべてのいのちを守り大切にすることこそ、すべての人に神から求められている倫理的責任です。私たちは、すみやかにすべての原発が停止され、廃止への処置が取られるよう強く求めます。私たちは、原子力発電によらない社会への転換、再生可能エネルギー社会の実現のために共に祈り、行動してゆきたいと願います。




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